「サンダル 指先 見える 苦手」「裸足 恥ずかしい」で検索している人に向けて、自分がなぜ裸足やサンダルに苦手意識を持つようになったのか、子供の頃まで遡って振り返ってみる。
前回、指先が見えるサンダルがずっと苦手だったという話を書いた。
今回はもう少し時代を遡って、子供の頃の「裸足になるのが恥ずかしい」という感覚について書いておきたい。
当時はまだ、足の小指の爪が小さいことをはっきり意識していたわけではなかった。
それでも、裸足になること自体には、漠然とした抵抗があった気がする。
恥ずかしかった場面を思い出してみる
学校生活を振り返ると、裸足になる場面は意外と多い。その時期が近づくと、それだけで少し憂鬱になっていた。
- プールの授業
- 体育のマット運動
- 柔道、剣道
- 運動会・体育祭の騎馬戦、棒倒し
- 身体測定(身長・体重は裸足で測定)
- 修学旅行、宿泊学習(入浴以降は裸足)
- 何かで劇をやったことがあって、役柄のせいで裸足だった気がする(この辺りは記憶があいまい)
こうして並べてみると、行事の節目ごとに裸足になるタイミングがあったことに気づく。
同じような記憶がある人は、意外と多いんじゃないかと思う。
何が恥ずかしかったのか
正直、当時は理由を言葉にできていなかった。
「なんとなく人に見られたくない」という感覚だけがあった。
今思えば、足の小指の爪の小ささに、なんとなく気づいていたのかもしれない。
指摘されたことは一度もないのに、自分の中で「見られたら変に思われるかもしれない」という想像だけが先に立っていた。
誰にも言われていないのに気になる、というのは今振り返っても不思議な感覚だ。

結局、スニーカーを選び続けた
裸足を避けた結果、選ぶのはいつもスニーカーだった。
指先も足の甲もしっかり隠れるから、それなら安心だった。ただ、今度は別の問題が出てきた。
夏場、足がずっと蒸れて、脱いだときに臭いが気になるようになった。
一つの恥ずかしさを避けたつもりが、いつのまにか別の恥ずかしさに変わっていた。
当時はそんな風には気づいていなかったが、今思えばなんとも皮肉な話だ。
大人になってから気づいたこと
仕事柄、人の体について説明する機会は多い。
それでも自分の足のこと、特に小指の爪のこととなると、いまだに少し身構えてしまうところがある。
克服した、と言えるほどきれいな話ではない。
ただ、今は当時と違って、その感覚を無理に消そうとはしていない。
気にしていること自体を、記録として残しておくくらいの距離感でちょうどいいと思っている。
今のサンダル選びにもつながっている
裸足への苦手意識は、今も完全に消えたわけではない。
サンダルを履いて外に出る前、無意識に自分の足元を一度見てしまう癖が抜けない。
誰も見ていないと分かっていても、確認せずにはいられない。
裸足になるのが恥ずかしかった頃の名残は、こんなところにまだ残っているのかもしれない。
それでも、指先が見えるサンダルを選び続けているのは、その感覚と付き合いながら試していくこと自体が、この記録のテーマになっているからだ。
今の方がずっと足にとって楽な選択をしている気がする。

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